大晦日

今日もAI居酒屋八席灯で呑んでます。
本日のお題
「神社と酒 ― なぜ人は年の瀬に手を合わせ、酒を呑むのか」
文・灯大将
語り手・金城 醸(ワタクシ)

伊勢神宮の話をした。
住吉神社の話もした。
稲荷神社の話も触れた。
伊勢は、基準になる場所。
住吉は、移動の途中を守る神。
稲荷は、商いや暮らしの神。
役割は違うのに、
年の瀬になると、どこも人でにぎわう。
そして多くの人が、神社に行き、酒を呑む。
なぜだろう。

■ 年末は「願う」より「区切る」時期
大晦日に行く人もいれば、
元日になってから行く人もいる。
二年参りとか、初詣とか、呼び方はいろいろだ。
でも、やっていることは同じだと思う。
一年を終わらせて、次の年に歩き出す。
その境目に立っているだけだ。
年末は、「こうなりますように」と願う時期というより、「ここまで来たな」と区切る時期だ。

■ 神社は、一年を閉じる場所。
神社は、ふだんの生活の場所ではない。
鳥居をくぐると、少し空気が変わる。
仕事でもない。
家でもない。
酒場でもない。
だから神社は、一年分の出来事を、いったん置いていく場所になる。
うまくいったことも、
うまくいかなかったことも、
まとめて、静かに置く。

■ 酒は、一年をねぎらう行為
参拝のあと、
家で、店で、誰かと、あるいは一人で、酒を呑む。
その酒が美味いのは、
神さまに近づいたからではない。
一年分の時間を、ちゃんと終わらせて、
人の世界に戻ってきたからだ。
酒は、何かを始めるための道具じゃない。
ここまで来た自分を、
「よくやったな」とねぎらう行為だ。

■ うまくいった年も、そうでない年も
伊勢に行った人もいる。
住吉に立ち寄った人もいる。
稲荷で商売繁盛を願った人もいる。
でも、年の終わりに呑む酒は、
特別な意味を背負いすぎない。
うまくいった年も、
そうでなかった年も、
同じように杯を上げる。
そこが、いい。

■ 今日のまとめ
神社は、一年を閉じる場所。
酒は、一年をねぎらう行為。
うまくいった年も、
そうでなかった年も、
酒の味は同じだ。
だから人は、
年の終わりに、手を合わせて、酒を呑む。
う〜ん。至福だ〜。