除夜の鐘

今日もAI居酒屋八席灯で呑んでます。
本日のお題
「除夜の鐘 ― 煩悩は消えない。それでも人は耳を澄ます」
文・灯大将
語り手・金城 醸(ワタクシ)

年の終わりに、鐘の音を聞く。
寺に行く人もいれば、
家でテレビ越しに聞く人もいる。
除夜の鐘は、百八つの煩悩を消すためのものだ、と昔から言われている。
でも正直に言えば、鐘を聞いたからといって、煩悩が消えるわけじゃない。
翌朝になれば、欲も、迷いも、未練も、ちゃんと残っている。
それでも人は、年の終わりに鐘の音に耳を澄ます。

■ 鐘は「消す」ためではなく、「区切る」ために鳴る
除夜の鐘は、
煩悩を消し去る魔法の音じゃない。
むしろ、
「これだけ抱えて、ここまで来たな」
と、自分で自分を確認する音だ。
百八つあるなら、
百八つ持ったまま一年を生き切った、
ということでもある。
消えないからこそ、
数える意味がある。

■ 酒は、清めるための道具ではない
酒は、ときどき
「清め」の文脈で語られる。
確かに、神事に酒は欠かせない。
でも、人が年の終わりに呑む酒は、
何かを洗い流すためのものじゃない。
酒は、
煩悩を抱えたままの自分を、
一度そのまま肯定する行為だ。
消せなかったことも、
割り切れなかったことも、
全部連れて、杯を上げる。

■ 煩悩があるから、鐘が鳴る
もし本当に煩悩が消えるなら、
鐘は一度でいい。
でも百八つ鳴らすということは、
人はそんなに単純じゃない、
と最初から分かっていたんだと思う。
煩悩がある。
だから悩む。
だから願う。
だから酒を呑む。
それでいい、
と鐘は言っている気がする。

■ 今日のまとめ
除夜の鐘は、
煩悩を消す音ではない。
一年分の迷いや欲を抱えたまま、
「ここで一区切りだ」と知らせる音だ。
酒も同じだ。
清めるために呑むのではなく、
煩悩ごと生きた一年を、
ねぎらうために呑む。
煩悩は消えない。
だからこそ、人は鐘を聞き、
杯を上げる。