江戸まで一刻も早く新酒を届けるレースがあった

コロナ禍ですっかり家飲みが続く今日この頃ですが、ふと、家でハイボールを飲みたい!と思い、近所のスーパーにウイスキーを買いに出かけた。

酒類コーナーへ行くと、カティサークが特売品として販売されていた。私はカティサークの事は知っていたけど、飲んだことがなかったので、これを機に飲んでみようと買ってみた。

家に帰って、グラスに氷を入れ、カティーサーク、続けて炭酸を注いで、マドラーで軽くかき混ぜた。

炭酸のはじける音を聞きながら、一口飲むとスッキリした味わいで、口当たり良く爽やかな味が喉を通り抜けた。すっかりお気に入りとなったカティーサークには、ラベルに帆船が描かれてるのが特徴的だ。

この帆船は中国からイギリスへ紅茶を運搬する高速帆船「ティー・クリッパー」だと知った。東インド会社の独占時代が終わり、自由貿易が盛んになると、紅茶をいかに早くイギリスに届けるかを競う、ティーレースが行われるようになった。最初に届けられた茶葉はその年、高値で取引されることから、一番になろうと紅茶輸送レースは熾烈を極めることとなる。

カティーサークはティー・クリッパーとしては優秀であったが、レースにおいては、華々しい戦績は残せなかったという。その後、イギリスに買い戻され、グリニッジで保存展示されると、多くのロンドン市民の見学者を集めた。その人気から、アメリカ市場向けに発売することになったウイスキーを「カティーサーク」と名付けたのであった。前置きが長くなりましたが、ここから日本酒の話です。

カティーサークの帆船が気になって調べてるうちに、偶然、日本では紅茶ではなく、日本酒を江戸に早く届けるレースがあったというのを知りました。
関西の酒蔵で作られる「下り酒」を一番早く江戸に届けられるかを競うレースがあり、そのレースに出る樽廻船は「新酒番船」と呼ばれていて、大阪と西宮の樽廻船問屋が西宮浦に勢ぞろいし、そこから江戸(品川)まで競い合うのですが、一番に到着した船は「惣一番」と呼ばれ、「惣一番」を取った銘柄の酒は、高値で取引され、流通も優先的に行われるようになったという。

この日本でのレースは、イギリスがティーレースをしていた時代(1800年後期)よりもなんと、100年ほど早い、1700年代中・後期であったことにも驚かされた。
現代では早く届けるためのレースなんて考えられませんが、今も昔も鮮度が大切というのは同じな気がします。

しかし、家飲みのためにカティーサークを購入したのがきっかけで、「新酒番船」に辿り着くとは!
これからもこんなふうに、日本酒にまつわる歴史的なエピソードに出会いたいです。

寄稿者:森 明信