日本酒専門店とは?

昭和後期、東京では、有名な高級日本酒(この場合はお値段が高くて、普通に入手することが難しかったという意味。)と言えば、剣菱⇒越乃寒梅⇒久保田⇒十四代、田酒⇒獺祭、而今、飛露喜等という流れでしょうか。

そもそも、日本酒が呑めるお店は、お寿司屋さん、お蕎麦屋さん及び居酒屋と、相場は決まっていました。

居酒屋で出てくる銘柄は「冷や」、「燗」だったように思います。

獺祭が有名になったのは、安倍元首相のお陰という人がいらっしゃいますが、個人的にはアニメのエヴァンゲリオンでしょう。その理由は、エヴァンゲリオン、ミサト、獺祭で検索していただくと、ミサトさんが立膝で獺祭を呑んでいる画像が山程出てきます。

この間、知っているお酒と言えば、大関、黄桜、白鶴、月桂冠の他、地方のお酒は千福、力士だったか、全部テレビコマーシャルをしていたので、名前を知っていただけかもしれません。

取りあえず、このどれかを置いていれば日本酒の店というイメージがありました。

昭和60年代後半、新宿にあった新潟の地酒を扱うアンテナショップを知り、地酒の存在を知り、上善水如しにハマりました。(今はその店もうない。)

時は流れて、平成も二十年が過ぎ、新宿motoに出会いました。

まあ、川鶴も宝剣も貴も知らなかったから、驚いたこと、驚いたこと。

ようやっと、平成になって新宿motoに出会い、日本酒専門店を認識できたのだと思います。

それまでの居酒屋と全く違う印象だったのを思い出します。

これからの日本酒専門店は、ただ、いろいろな銘柄の日本酒が揃っていれば、日本酒専門店なのかというとそれは違います。

なぜなら、日本酒専門店の歴史的使命は、日本文化の伝承と新たな日本文化の創造だと思うからです。

個人的に素晴らしいと思う日本酒専門店の代表格は、やっぱりmotoグループ。

今では一般的ですが、お水を飲みながら、日本酒を呑むと酔いにくいというは、motoで教わりました。

ブラックチョコレートやスイーツが日本酒に合うと教えてくれたのも、motoグループ店でした。

お酒の知識もさることながら、満員になったらどうやってお客さんを捌くとか。ダークダックス呑みや一番古い人から退出する(常識と言えば常識ですけど。)とか、立派な呑兵衛に育てていただきました。

スタッフに対しても、独立していった赤羽でしじゅうごえんを営む氏田さんや、虎ノ門でKanadeを営む、なべちゃんをエールで送り出した姿が美しい。

ある意味暖簾分けですが、スタッフを育て送り出すなど、カッコいいです。喧嘩別れというのは聞いたことがありません。

グループ内で筆頭格の千葉ちゃんは、もちろんのこと清水君、天野君、上野君、村沢さん、川名君。皆、個性的なのにお店のコンセプトを理解しながら働いている姿は何とも美しいと思っています。
川名君が萌え酒専門店、秋葉原もとを開いたら、定期が無くても行きます。番頭格の島田さん、鈴木さんに至っては居酒屋界の鑑といってもいい。今風に言えば「神」ですな。

スタッフと常連さんが、みんなお酒が大好きだというのももちろんの事、蔵見学もみんなで積極的に行っちゃうし。

日本文化の伝承をしつつ、新たな日本文化を創造する。それがこれからの日本酒専門店と断言します。